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聖書
- 2025.05.01
5月の聖句
学内教職員向けのメッセージです。
5月の聖句
「人を偏り見るのは良くない」(箴言28章21節)
旧約聖書イザヤ書に「よく聞け、しかし理解するな。よく見よ、しかし悟るな」(6章9節)という言葉が記されています。出来事の本質は、もっと奥深いところにあるのだから、安易に理解し、悟った気にならないよう促しています。理解し、悟ることで自己完結するのではなく、よく聞き、よく見続けることの大事を強調しているように感じられます。
心理学者であった故河合隼雄さん(京都大学名誉教授)は、次のような言葉を遺されています。「臨床心理学などということを専門にしていると、他人の心がすぐわかるのではないか、とよく言われます。しかし、人の心がいかにわからないかということを、確信をもって知っているところが、専門家の特徴である。…『わかった』と思って決めつけてしまう方が、よほど楽なのである。この子の問題は母親が原因だとか、札つきの非行少年だから更生不可能だ、などと決めてしまうと、自分の責任が軽くなってしまって、誰かを非難するだけで、ものごとが片づいたような錯覚を起こしてしまう。…非行少年が、母親が怖いと涙ながらに訴えるとき、その少年の思いを尊重しなくてはならない。しかし、だからと言って母親が原因などと速断できるはずもない。そして、母親に対して会うときも、少年に対してと同様に、簡単に決めつけられたものではないという態度で会ってゆく。このような態度で会い続けていると、それまで見えなかったものが見えてくるし、思いもよらなかったことが生じてくる。…一番大切なことは、(相手の)心をすぐに判断したり、分析したりするのではなく、それがこれからどうなるのだろう、と未来の可能性の方に注目して会い続けることなのである。…しかし、これは随分と心のエネルギーのいることで、簡単に出来ることではない。」
人は神ではないのだから、すべてを見極めることなど出来ない、それゆえに「人を偏り見るのは良くない」と聖書は告げています。こども達の課題を偏り見ることがないよう、複数の耳と目(授業担当、担任、コース、生徒部、相談部、保健室、管理職など)で、よく聞き、よく見続けることが大切にされている中高の日常は、まさにキリスト教主義教育そのものだと感じます。ですが、これは随分とエネルギーのいることで、教職員の皆様の心のゆとりと安心を生み出す環境が欠かせないとも感じます。
(宗教部主任)