共愛学園高等学校
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6月の聖句

学内教職員向けのメッセージです。

6月の聖句
「未熟な者は何事も信じ込む。熟慮ある人は行く道を見分けようとする」
(箴言14章15節)

「ステレオタイプ」。この言葉の生みの親は、20世紀最高のジャーナリストと評されるウォルター・リップマンです。彼は、ハーバード大学を首席で卒業後、ジャーナリストとなり、第一次世界大戦の際にはアメリカ大統領ウィルソンの側近に抜擢されます。託された仕事は、世論操作。当時の世論であった「厭戦ムード」を「正義のための戦争」へと転換させることでした。その政治的目的は、わずか六ヶ月で達成されることになります。リップマンは、この恐ろしさと反省に基づいて『世論』(1922年刊行)を記し、「ステレオタイプ」を利用して人を操作していく仕組みを公開しました。
 彼は「ステレオタイプ」の意味を「見てから定義しないで、定義してから見ること」と表現しています。現実の世界は巨大で複雑すぎて、その全容をいちいち正確に捉えることは出来ません。だから、人は自分の思い込んでいるイメージを通して現実を見る。その方が分かりやすいし、楽だし、何と言っても心地良いからです。現代では、AIの手助けもあって、より自分の見たい、信じたい情報に触れる機会が増え、「ステレオタイプ」の環境から逃れることが困難になっています。リップマンは「マスコミは中立であるべきだ」という言説に対して、「中立なマスコミという幻想」自体をまず捨てなさいと警鐘を鳴らしています。むしろ、人はステレオタイプからは逃れられない。大切なことは、人間の感情の動きや騙されやすさ、思い込みといった習性を学んで、認めて、少しでも引いて見られるようになることであるとしています。そして、それをもたらすことが出来る「教育」にこそ、リップマンは希望を見ています。
今月の聖句は、人は神ではないのに、全てを信じ込んでしまう危うさがあることを示唆しています。人は神ではないのだから全てを「見極めることは許されていない」(コヘレトの言葉3章11節)、人は「ステレオタイプ」からは逃れることが出来ない、その前提に立って、お互いを、物事を見つめていくように促していくことは、キリスト教主義教育に求められている大切な役割の一つだと感じます。
「偏見を打ち砕くことは、我々の自尊心に関わってくるために、はじめは苦痛であるが、その破壊に成功したときは、大きな安堵と快い誇りが与えられる(リップマン)」
(宗教部主任)

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