共愛学園高等学校
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9月の聖句

学内教職員向けのメッセージです。

9月の聖句
「今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る」
(ヨハネによる福音書9章41節)

 7月末に行われた修養会で、講師の野田沢先生(SCF主事)は、相手の言葉や行動の背景を理解しようとする大切さをお話くださいました。野田先生が結婚カウンセリングを担当したある女性は、婚約者の男性の金銭感覚に「ケチ臭さ」を感じていましたが、彼が経済的に苦しいなかで育ってきた背景を知り、そこに「堅実さ」を感じられるようになったそうです。また、ある学生は、帰宅する度に母親から「今日は学校で嫌なことはなかった?」と聞かれるのが好きではありませんでした。消極的な姿に感じられたからです。ある時「なんで楽しいことがあったかどうかを聞かないの?」と尋ねると、母親が学生時代に辛い経験をしてきたことが分かりました。その日から、母親の質問に優しさを感じ、「大丈夫だったよ」と笑顔で答えられるようになったそうです。その野田先生のお話を象徴するかのような出来事が、講演後の分団の時間にもありました。私が担当した分団で、ある生徒が涙を流しながら自分について打ち明けてくれる場面がありました。その涙は、話の流れから見て「悲しい涙」であると周囲は感じ取ります。けれど、本人の言葉から、みんなが今真剣に聴いて反応してくれることから溢れ出た「嬉しい涙」であったことが分かり、180度受け取り方が変えられたのを覚えています。自分が相手の言動のなかに見えていることだけが真実ではないことを改めて感じさせられる修養会でした。
 今月の聖句は「自分たちは真実が見えている・分かっている」と信じて疑わないファリサイ派の人々にイエスが語り掛けた言葉です。ファリサイ派は、当時のユダヤ社会において自他共に認める正しさと知識の象徴です。それゆえ、下手なプライドが起き上がり、教えを乞うことから遠ざかり、自分の見えている範囲で人を判断するようになっていきました。それは、大きな真実を見落とし、人を理解する(愛する)ことから遠ざかってしまうことをイエスは示しています。人は神ではないのだから、まだ見えていないことがある…その前提に立ち、「自分の物差しで測る」より前に「自分の物差しを測る」こと。その感性を磨いていくことが、「互いに理解し(愛し)合うこと」を目指すキリスト教主義教育の大切な役割の一つだと感じます。
(宗教部主任)

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