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聖書
- 2024.12.01
12月の聖句
学内教職員向けのメッセージです。
12月の聖句
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」
(マタイによる福音書1章23節)
私が教会の牧師をしていた頃、日本基督教団関東教区主催の十日町雪堀りボランティアに参加したことがあります。現地の除雪作業は「雪かき」ではなく、まさに「雪堀り」と呼ぶに相応しいものでした。都市のなかでは世界一の積雪量と言われる十日町。1.5メートル以上に積もった雪を1日かけて掘っても、次の朝にはまた元通り。一人暮らしの高齢者が増え、家族の大半が仕事や学校に出かけていくため、日中に雪を掘れるのは一人となることが少なくありません。豪雪地帯にある栃尾教会の手束信吾牧師は、毎朝、教会の庭一面に広がる雪原を見る度に「さすがに心が折れそうになる」とおっしゃられていました。しかし「今、あの場所で、あの人も雪を掘っている。あの人が覚えて祈ってくれている」、そう思えるだけで力が湧いてくるといいます。「一人」で除雪作業をしていると、つい目の前の雪を掘る辛さだけに思いがいってしまう。けれど、ふと、同労者や祈り覚えてくれている誰かの存在を思い浮かべられた時、そこは「独り」じゃない世界に感じられるということでした。ボランティアの滞在はせいぜい数時間…それでも「心の支えになります」と言ってくださった手束牧師の言葉に、胸を打たれました。
貧しく孤独のなかで産まれた飼い葉桶のイエス。その姿は、ユダヤ社会の中で同じく孤独のなかにあった羊飼いや占星術の学者たちにとって、「インマヌエル(神は我々と共におられる)」のしるしでした。神がイエスを通して自分達のことを覚えてくれているという喜びです。同じ様に、たとえ「一人」でも「独り」ではない、と生徒・教職員が感じられる世界(日常)をつくりだしていくことが、キリスト教主義教育に求められている大切な役割であると感じます。
『星を動かす少女』(作:松田明三郎)
「ページェントで上級生たちは三人の博士や羊飼いの群れやマリアなどそれぞれ人の目につく役をふりあてられたが、一人の少女は 誰も見ていない舞台の背後に隠れて星を動かす役が当たった。『お母さん、私は今夜、星を動かすの。見ていてちょうだいね』。その夜、堂に満ちた会衆は、ベツレヘムの星を動かしたのが誰であるのか気づかなかった。でも、彼女の母だけは知っていた。そこに少女の喜びがあった」。
(宗教部主任)