学園バザー
バザーの歴史について
共愛学園のバザーの歴史は古く、大正時代まで遡ります。大正の初めの頃、文学会という催し物がありました。その中に新しい要素として付け加わったものだったのです。当時の生徒たちの多くは寮生でした。彼女たちが暇を見つけては製作した品物を持ち寄り一同に陳列して見せ合い、それをささやかな小遣いで買い合って、このお金を学校に寄付をするということが始まったのです。
当時、校地拡大が問題となっていました。そして、新築講堂の建築資金が700円ばかり不足していたのでそれに対する寄付を目的にバザーを開催したのが初めでした。大正8年11月8日に新講堂の落成式があり、その午後に最初のバザーが開かれました。以降大正11年までこのような形で続きました。
この大正11年からはバザーは広く一般に公開される形となりました。こうして始まった本格的なバザーは、共愛名物のドーナツ、コーヒーショップの名の下に全県下に知られるようになって行きました。その後、多少の紆余曲折を経ながらも、昭和15年世界大戦勃発によって中止されるまで続きました。そして、終戦間近の昭和20年8月5日、前橋空襲によって共愛学園は灰燼に帰したのでした。
戦災でほとんど失った学園の復興に立ち上がった人々は早くも昭和20年11月17日には復興バザーを開きました。その戦後の混乱の中でどのような品物が売られたのでしょうか。会場の共愛館2階には窓ガラスさえ破れて一枚もないのでした。主なお客はアメリカ進駐軍兵士であったとも言われています。それは、本校がキリスト教主義であり、聖歌隊が米軍キャンプに行き奉仕をしていたためでもあったようです。このときの収益が共愛再建の貴重な財源となったのです。この再建にはたくさんの困難な問題がありました。従来にも増して、卒業生、教会、そして何よりも生徒の家庭のご理解と協力と援助が必要となっていました。そして、戦後のバザーは、師弟一体の内に進められ、昭和20年代はまだ不規則だったものの、昭和30年頃には、現行のバザーの原型がほぼ出来上がっていたようです。
学園に生徒会ができたのは、昭和40年です。この生徒会の活動がそのままバザーにも反映されてきました。クラブ、委員会、生徒が企画立案した参加団体やクラスの参加など、近年ますますその形態が学園文化祭的な要素が大きくなってきました。
更に、このバザーは保護者後援会(ベタニア会)の皆様のご理解とご協力を得ながら、その強力な後援活動に支えられながら進められています。保護者、生徒、教師が一体となって行われているバザーです。そして、外郭団体では母校を思う同窓生の方々、また、この学校の活動を様々な形で支えて下さる賛助会の方々がバザーを助けて下さっています。
さて今日、わたしたちのこの共愛学園は128年の間、たくさんの方々によって支えられて来ました。そして新たな共愛学園の飛躍のために、多くの方々がこのバザーでも時間と労力を奉げて下さっています。心から厚く御礼申し上げます。このバザーの歴史を振り返るとき、今日のバザーが意味深いものであることがおわかりいただけたかと思います。このバザーの歴史につきまして、是非ご家庭の保護者の皆様方にもご理解を頂きたいと願っております。