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聖書
- 2025.01.01
1月の聖句
学内教職員向けのメッセージです。
1月の聖句
「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」
(イザヤ書43章19節)
年末年始の朝日新聞には、1年前の能登半島地震を覚える記事が多かったように思います。地震が起こる直前までどんな時間を過ごしていたのか、詳細に報告されていました。妻と子ども3人全員を震災で亡くした大間圭介さん。ご家族の年齢構成に加えて、紅白歌合戦・ゆく年くる年の流れから、ボードゲームで盛り上がり、食べ過ぎたねと語り合う年末年始の過ごし方は我が家と重なるところがありました。それゆえに、圭介さんが1年ぶりに被災地を訪れ、「大きく損壊した一家の乗用車を目にしておえつを漏らした」という記事には、とりわけ胸が締め付けられました。突如として訪れる圧倒的な不条理と絶望に、果たして私は耐えうるのだろうかと思わされます。
『安心して絶望できる人生』…向谷地生良さん(北海道医療大学教授)らが設立した、精神障がい者支援事業「浦河べてるの家」の理念です。その理念が生まれた背景には、どれだけ病気やトラブルが解消したとしても、生きていれば再びそれは姿形を変えてやって来るのであり、リスクを回避して生きること自体が、根本的な安心をもたらすものではないという経験がありました。むしろ、人生のなかで絶望するような時はあるという前提に立って、それとの向き合い方をこそ養っていこうというのが先の理念の中身です。その時に心要となることは、「どんなに目の前の現実に希望を見出せなくなってしまうような時でも、きっとその事が何かまた新しい意味を生み、新しい人とのつながりを生むはずだということを、もう先に信じてしまうこと」であると向谷地さんは語ります。
今月の聖句は、古代イスラエルの人々が祖国を滅ぼされ捕囚の民となっていた、絶望的状況下で記された言葉です。直前には「昔のことを思いめぐらすな」(18節)とあります。圧倒的な絶望の先にどんな希望があるのか…過去の経験や歴史から予測することなど出来ないからです。だから、望みを絶たれているのです。しかしだからこそ、その先に待っている希望は未知(神)の領域、これまで味わったことのない全く「新しいこと」です。「もう望みを失いました」と思えるところが「新たな始まり」である、そんな安心して絶望できる人生があることを信じて、新たな一年をスタートしたいと願います。(宗教部主任)