共愛学園高等学校
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11月の聖句

学内教職員向けのメッセージです。

11月の聖句

「赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される」
(ルカによる福音書6章37節)

故渡辺和子さんの著書のなかで、ハッとさせられるコラムに出会いました。
「私たちの中には、自分だけが聖人で、他は罪人であるかのように振る舞う人がいるものですが、その反対もあるということ。つまり、自分は罪人というか不完全で当たり前なのだが、周囲の人々は皆聖人でなければならない。したがって、すること、なすこと完全で、私を誤解してはいけないし、私に対して腹を立ててもいけない。私に対していつも笑顔で機嫌よくあるべきだ…なぜなら、あなたは聖人なのですもの。でも私は違う。私は罪人なのだから、不完全なところがあっても大目に見てもらうのが当たり前。機嫌の悪い日もあるし、人を誤解するのも当然、という考え方です」。
痛いところを突かれた気がします。人は自分に出来ていることを、出来ていない相手に求めているのだと思いますが、その一方で、相手に出来ていることが自分には出来ていないという事実もありますから、結局「持ちつ持たれつ」が人間社会の本質であると言えるのかもしれません。ところが、誰しも自分を擁護しようとするので、自分のことは大目に見て欲しいけれど、相手の振る舞い、特に自分に対しての振る舞いは「聖人」のようであって欲しいと願っているものです。
神様の前に、イエスの十字架の前に、私は「聖人」ではありません。そしてあの人も「聖人」ではありません。「正しい者はいない。一人もいない」(ローマの信徒への手紙3:10)というのが聖書の人間理解です。「私は神様じゃないから間違う余地があることを忘れないでおいてね」という自分へのゆるしだけではなく、「あなたは神様じゃないと私は知っているから、間違うこともあるよね」という相手へのゆるしがあって初めて、「互いに愛し合う」というイエスの精神を体現することになるのかもしれません。そうと分かっていても、実行するのはなかなか難しい…。でもその難しさと向き合うなかで紡ぎ出される言動には、真実味があり、相手の心に響くものがあるのだろうなと感じます。
(宗教部主任)

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