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聖書
- 2025.02.01
2月の聖句
学内教職員向けのメッセージです。
2月の聖句
「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」
(ヨハネによる福音書13章7節)
「うちら、あの時、結構とがってたよね。間違いなく面倒くさい奴らやったと思う。でもさ、あの時、大事にされてたんだな~って。今更だけど、ホントありがとうございました」。バザーで来校した卒業生から、そういう言葉が5年の時間差で返ってきました。ある人が「私たちにとって、もっとも遠い旅とは頭から心に至る旅なのだ」と語っています。言葉自体の意味を頭で認識するのはそんなに難しいことではありません。しかし、その言葉が相手の心の奥深くに届き、生きた言葉として獲得されるまでには、時に、長い道のりを必要とするのかもしれません。
「一年の謀は穀物を植えるにあり。十年の謀は木を植えるにあり。百年の謀は人を植えるにあり」。共愛学園と深いかかわりのある新島襄は、同志社設立の趣旨に、この諺を引用しています。キリストの良心を持った人材を育て、世に送り出すことを望みつつも、それには長い時を要することを見据えていたのだと思います。その来るべき時を展望しながら、新島はキリストの心を伝える「種まき」に命を燃やし続けました。何より自分自身の人生や信仰が、様々な人の「種まき」によって、今、実っていることを痛感していたからです。
思い返せばイエスは「父よ、彼らをお赦しください、自分が何をしているのか知らないのです」(ルカによる福音書22章34節)、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」(ヨハネによる福音書13章7節)といった言葉を遺し、十字架の犠牲を引き受けられました。「いつか、私の命が、私の言葉が、私の生き様が、あなたがたの血となり肉となりますように」…そんな祈りのなかで、イエスは命を賭して私達に語り続けたのだと思います。
ささげられる言葉と愛が、すぐに相手に届くとは限りません。時に「タイム・ラグ」があります。聖書に刻まれたイエスの言葉と愛もまた、時間差で私達の心に届くことがあります。かつて誰かが私にまいてくれた種…それが実って今の私があるように、今度は私が誰かに向かって種をまく。こうした愛のライムラグのなかで、命はつながってきたことを改めて覚えます。(宗教部主任)