共愛学園高等学校
共愛学園
共愛学園

4月の聖句

学内教職員向けのメッセージです。

4月の聖句
「あなたがたは地の塩・世の光である」(マタイによる福音書5章13~14節)

青山学院大学宗教主任の塩谷直也先生は、自著のなかで「この世界には2つのパーティがある」と述べておられます。ひとつは「合格祝い」(以下A)のパーティ。その人の努力が結果を生んだこと(to do)を、多くの人が称賛します。もうひとつは「誕生祝い」(以下B)のパ-ティ。結果に関係なく、その人が存在していること(to be)を祝います。どちらのパーティも人間には必要です。どんなに結果を出しても、Aのパーティが開かれないなら、その人は頑張る気力を失ってしまうでしょう。ですが、結果を出さない限りパーティが開かれない(喜ばれない)とすれば、その人は失敗を繰り返す内に頑張る気力を失っていくかもしれません。ですので、人間にはBのパーティ、結果に関係なく、あなたの存在を喜ぶパーティも定期的に必要だと塩谷先生は指摘します。
イエスはBのパーティを頻繁に行った人物でした。ユダヤ社会のなかで取り残され、冷遇され、自己評価の低かった人々を前に、「あなたがたは塩や光のようになくてはならない存在である」と告げています。塩や光のように「なりなさい」ではなく、「である」と言われたことにポイントがあります。イエスは、あなたの価値を証明するために結果を残しなさいと促したのではなく、その人の中にすでにある価値を認めて祝福したのでした。
心理学の世界では、「〇〇の結果すごいね」(結果承認)、「結果が出たのは〇〇をしていたからだね」(プロセス承認)、「〈結果に関係なく〉意見を出してくれてありがとう」(行動承認)、「〈していなくても〉しようと思ってくれていたんだね、嬉しいよ」(意識承認)、「あなたといると元気もらえる」(存在承認)という承認段階があるようです。前にいくほどAのパーティ、後ろにいくほどBのパーティの要素が強くなります。前にいくほど承認効果は短く、後ろにいくほど長いようです。
 Aのパーティは、結果が目に見えるため比較的自然に行えます。しかし、Bのパーティは、意識しなければなかなか行えません。イエスの視点に立って、Bのパーティの機会(要素)を増やしていくことは、キリスト教主義学校に求められている教育の一つなのだと感じます。
(宗教部主任)

前の記事:3月の聖句   次の記事:5月の聖句