共愛学園高等学校
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7月の聖句

学内教職員向けのメッセージです。

7月の聖句
「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい」
(ペトロの手紙一 3章9節)

 人はなぜ争うのか。永遠のテーマですが、要因の一つはそこに「メリット」があるからではないでしょうか。聖書の授業で、「悪口を悪口で返す」ことの「メリット・デメリット」を考えてもらったことがあります。メリットは「スッキリする、言いたいことが言える、反撃できる」、デメリットとしては「傷つく、後悔する、周りからの印象が悪くなる、ラリーが続く、友達がいなくなる」などの意見が生徒達から挙げられました。メリットを選べば、デメリットは引き受けなくてはならなくなる…。精神病理学者フロイトは、自著『人はなぜ戦争するのか』のなかで、「服従させたとしても必ず復讐がある」とし、もし自分が誰かを服従させたら、自分の安全は脅かされることを覚悟しておかなければならないと分析しています。何を主体的に選択するのか、私達に委ねられています。
イエスは、「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ福音書5章38〜39節)と言われました。この言葉について、女子学院中高聖書科の石丸泰信先生は「しかし」というフレーズに注目し、次のように語っておられます。「同僚が親切にしてくれた。『だから』私も親切にしよう。これは幸いなことです。けれども、これはどうでしょう。あの人は挨拶してくれない。『だから』私も…。自身の中に『だから』しか持たないと相手次第の生き方になります。そして、自分の嫌いだったはずの姿にいつの間にか自分がなってしまう。…けれども『しかし』を持つ人は違います。あの人に無視された。『しかし』私は私。私はキリストの言葉に従う。…自分らしく生きたい。そのために信頼できる言葉を聞きたいと願うとき、教会にせよ学校にせよ、礼拝に行きたくなるのではないでしょうか。」
 今月の聖句は、周囲から迫害を受けていた教会に宛てて、教会指導者が記した手紙です。教会のなかには恨みや報復の感情が渦巻いていたに違いありません。しかし、そんな状況だからこそ「かえって、祝福を祈る」。その選択にはイエスを信頼して、平和を実現しようとする者の主体性があることを示しています。日々の礼拝や学校生活を通して、自分の中にイエスの「しかし」の選択肢(感性)を持つ生徒を育み、世に送り出していくことは、キリスト教主義教育の大切な役割の一つであると感じます。(宗教部主任)

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