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聖書
- 2023.09.01
9月の聖句
学内教職員向けのメッセージです。
9月の聖句
「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です」
(コリントの信徒への手紙Ⅰ12章27節)
現代最強のマーケターと称される森岡毅さん。USJ、丸亀製麺、グリーンピア三木、西武園ゆうえんち等、経営難に陥っていた企業を現在の姿にV字回復させた立役者です。森岡さんは、その企業が自分達の持っている「強み」に気付いて、それを更に磨いていけるように導かれます。例えば「西武園ゆうえんち」は、老朽化した施設が課題でしたが、それを「強み」と捉えて、若者の支持も集める昭和(レトロ)を舞台にしたテーマパークにして解決していきました。森岡さんは自著の中でこう指摘されています。「日本では、小学校へ入学してから大学を出るまで16年間もあるのに、自分が何者で、どんな特徴があって、どんなときに幸せを感じるから、どんな職に就いて、どのような人生を送りたいか、そういうことをほとんど考えさせない。高校時代に文系か理系かを選ぶ際にも、己の内面を問うことをスキップして、その時点で数学がどの程度できるかで半自動的に決まってしまう。進むべき大学や学部も、受験の合否と偏差値による世間評価との相場観で、それほど悩まなくてほぼ受動的に決まる仕組みになっている。結果、『Self Awareness』(自分のことを知っている度合)が未成熟のまま、己の軸がない状況のまま就活が始まる人が多い。…他人との相対比較ばかり強調される人生で、それが自分の中でもクセになっていて、優越感や劣等感をガソリンにして生きていくことが次第に当たり前になってしまう。その結果、自分の中にある『宝物』(強み)が見えなくなっている人がいかに多いことか」。そう指摘された上で、森岡さんが提唱している自分の「強み」の見つけ方は、私にとって「目からウロコ」で、自己を肯定される発想でもあり、聖書をより深く本質的に読み解く鍵にもなっています。
今月の聖書箇所に、足(耳)が「わたしは手(目)ではないから、体の一部ではない」と嘆いている例えが記されています。これは、他の目立つ部分と比べれば私なんて大したことがないと、比較の中で自分の強みを見失っている人の嘆きです。また、「ほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」と記されていますが、比較の中で弱く見えているだけで、そこにある「強み」を見失っているのは私達の側であると指摘されているようにも聞こえてきます。ルカによる福音書の中には、イエスが「あなたの信仰があなたを救った」と語りかける場面が繰り返し出てきます。語りかけられた人は皆、周囲から弱く価値の低い人間だと見なされ、自身もそう感じていた人達です。その人達の中にある「強さ」をイエスは見出されました。神から与えられている一人ひとりの「部分」(強み)を共に見出し、その強みを磨くことに夢中になり輝けるよう生徒・教職員が支えられていくこともまた、キリスト教主義教育の大切な役割の一つだと思わされます。(宗教部主任)