共愛学園高等学校
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3月の聖句

学内教職員向けのメッセージです。

3月の聖句

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」
(マタイによる福音書 28章20節)

「誠実、無欲、色でいえば真白な人、不実、貪欲、色でいえば真黒な人、そんな人はいずれも現実にはいません。いるのは、そのどちらでもない灰色の人でありましょう。比較的白っぽい灰色から、比較的黒っぽいのまで様々ではありますが、とにかく人間は、灰色において一色であります。その色分けは一人の人間においても一定ではなく、白と黒との間をゆれ動いているのであり、白といい、黒といっても、ゆれ動いている者同士の分別に過ぎません。よくみればやはり、お互いに灰色であります。灰色は、明るくはありませんが暖かい色です。人生の色というべきでありましょう」。京都御幸町教会の牧師であられた故藤木正三さんの言葉です。
藤木牧師の言葉をお借りするならば、聖書が示しているのは、人間は誰一人例外なく“グレー”であるという真実です。イエスは、「自分は真白」であるかのように相手を非難する人々に対して「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(ヨハネによる福音書8章7節)と投げかけました。また、「自分は真黒」であるかのように自身の存在を卑下する人に対して「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」(ルカによる福音書7章47節)と語り掛けました。真白な人などいない、それゆえにイエスは「彼らを信用されなかった。…何が人間の心の中にあるかをよく知っておられた」(ヨハネによる福音書2章24〜25節)からです。けれど、そんな私たちと「世の終わりまで、いつも共にいる」と語っているのが今月の聖句です。なぜなら、真黒な人もいないからです。自分は灰色であることを深く味わい知った人こそ、「互いに愛し合う」ことが出来ると知っていたからです。
生徒達もまた、白と黒との間をゆれ動いている日常の中を過ごしています。そんな生徒達に、その都度必要な言葉を投げかけ寄り添い続けておられる教職員の皆様のお働き。それは「人生の色」を深く味わい知ってもらうための、尊いキリスト教主義教育であると感じます。(宗教部主任)

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