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聖書
- 2024.05.01
5月の聖句
学内教職員向けのメッセージです。
5月の聖句
「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す。」
(箴言12章18節)
ある老人ホームのスタッフミーティングで、お年寄りのお世話をする中で「言わなければよかった言葉」を出し合い、それをどの様に言い換えられるかを考える機会があったそうです。例えば「どうして汚すの」と叱っていたのを、一呼吸置いて「気持ち悪いでしょう。いつでも取り替えますから言って下さいね」などと言い替えてみる。そんな言い換えを繰り返していく内に、自分達の何気ない一言で、ずいぶん人を傷つけていたことが分かってきたそうです。「人を和ませる言葉を探していると、自分の心が和みます」。スタッフの方々の言葉です(朝日新聞より)。
この記事を紹介している精神科医の工藤信夫さんは、いつの間にか医者という立場に安住してしまい、ある種、下の立場に置かれる患者の気持ちに気づくことが出来ていなかったのではないか…それゆえに、知識は語れても、「知恵ある言葉」を語れてこなかったのではないかと自省しておられます。知識の言葉は机上的で、何か冷たさを感じさせるのに対し、「知恵ある言葉」には人間に対するいたわりや暖かみがある。だからこそ、後者は人に届くと分析しています。
イエス亡き後、その精神は弟子達の言葉を通して、世界中に広まっていきました。イエス本人ではないのに、なぜ弟子達の言葉が人々の心に届いたのでしょうか。それは、十字架のイエスを見捨てて逃げてしまったという弟子達自身の苦い経験に裏付けされた「知恵ある言葉」であったからだと思います。弟子達が語る言葉には「わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません」(使徒言行録10:26,14:15)という人間の弱さに対するいたわりや暖かみが含まれていました。
「正論とは、道理は通っているが人間に届いていないせっかちさです。…人間の弱さに対する洞察において、正論は遠く愛に及ばないのです」(京都御幸町教会牧師、故藤木正三)。自分の弱さと向き合わされる苦い体験は、「知恵(愛)ある言葉」を生み出す契機になる、そんな真実を示していくことも、キリスト教主義教育に求められていることではないかと感じます。(宗教部主任)