共愛学園高等学校
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1月の聖句

学内教職員向けのメッセージです。

1月の聖句

「主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる」
(哀歌3章22〜23節)

 今月の巻頭言は、書き上げるのに時間がかかってしまいました。予め書こうと思っていた内容はあったのですが、能登半島地震の被災状況が日々明らかになるにつれ、言葉を失い、途中まで書いていた原稿の内容も宙に浮いている感じがして、それ以上書き進められませんでした。理不尽で残酷とも言える被災状況のなかで、今月の聖句が伝えようとしていることは何なのか…そんなことを思い巡らしながら、気が付けば、V.E.フランクルの名著『夜と霧』を手にとっていました。
『夜と霧』は、東日本大震災のとき、リバイバル的に大変な売れ行きをみせたそうです。フランクル達は、何の罪も犯していないのに、ある日突然ナチスに拉致され、一方的に生殺与奪の権を握られました。まことに理不尽です。震災に見舞われた被災者の方々も、何の罪もないのにいきなり財産を奪われ、愛する人を奪われました。これもまったくの理不尽です。ですので、フランクルが強制収容所で世の地獄を経験し、愛する家族も奪われ、明日殺されるかもしれない状況でなお、虚無に陥らず、「生きる意味」を見出し続けた記録は、言葉を失うような現実を生きる被災者や私たちの生きる指針や希望となり続けてきました。
精神科医であったフランクルは、強制収容所での経験から、人間にとって最もつらい苦しみは「自分がなぜ悩み苦しんでいるのか、その理由が分からないことだ」と分析しています。理由のない苦しみに耐えられず、自ら命を断つ人も多くいました。逆に、現在の自分の苦しみが、自分の人生における「何か」や「誰か」に役立っている(く)ことを見出せた人は、それが今を生きる希望になったと記録されています。
今月の聖句には、ユダヤの人々が祖国を失うという絶望的状況を味わったからこそ新たに感じられた慈しみや憐れみの出来事が証されています。苦しみの意味を見出せたことが、人々の希望となっています。イエスもまた、自らの味わっている苦しみが「何か」や「誰か」の必要を満たしている(く)ことに希望を見出しながら、十字架で亡くなっていきました。教職員の皆様がそれぞれの人生のなかで味わってきた苦しみにも意味があったこと、その希望を人生の先輩として折々にこども達に伝えていくこともまた、キリスト教主義教育の尊い働きの一つではないかと感じました。
(宗教部主任)

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