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聖書
- 2023.12.01
12月の聖句
学内教職員向けのメッセージです。
12月の聖句
「その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」
(ヨハネによる福音書1章9節)
「聖書とは何か」と問われたら、私は「3880億」と答えています。この数字は、聖書の発行部数です(ギネスブック1999年度版)。世界で最も発行された小説「ドンキホーテ」や「ハリーポッター」でさえ、約5億冊ですので、聖書はどれほど多くの人々に読まれてきたかが分かります。世界で読まれる本となるためには、「すべての人」にとって関係があり、「すべての人」にとっておもしろく、あらゆる時代に対応できる内容でなければなりません。そうでなければ、いつかは読み捨てられてしまいます。旧約聖書は紀元前2000年頃からの伝承がまとめられていますので、聖書の内容は現在に至るまでの約4000年間、あらゆる時代、あらゆる国、あらゆる人々の心をとらえてきたということが言えます。
先日行われた職員研修で、帆足直治先生(東北学院中高校長)は、キリスト教主義であることの強みは「ブレないこと」「世界に通じる教養を学べること」であると答えてくださいました。また、共愛9代目校長の周再賜先生は「修身(道徳)は日本人をつくるもの。聖書は人をつくるもの。」と常日頃から語られ、戦時中に敵国の文化として禁止された聖書の授業を、命の危険を犯してまで続けられました。日本の道徳は、時代の価値観に翻弄されていくことを、周先生はすでに見抜いていたからです。道徳は日本人としてどうあるべきかを教えるが、聖書は人としてどうあるべきかを教える、これは似て非なるものだと思います。「人としてどうあるべきか」は、日本にとどまらず、世界に通じる教養です。しかも聖書が伝える人間理解は、約4000年間、あらゆる時代に受け入れられてきたという歴史的エビデンスがあります。
イエスの光は、まことの光で、「すべての人」を照らすと聖書は示しています。「そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません」(ガラテヤの信徒への手紙3章28節)。キリスト教主義教育とは、聖書(イエス)の人間理解に基づいて、「人としてどうあるべきか」を生徒、教職員が一緒に考え、伝え合って、あらゆる時代、あらゆる国、あらゆる人に通じる感性(国際教養)を磨いていくことだと私は感じています。 (宗教部主任)