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聖書
- 2013.07.01
7月の聖句
私は良い羊飼いである。
ヨハネによる福音書 10:14
イエス・キリストのことを、聖書では「良い羊飼い」としてイメージしています。そこから教会の牧師も、「良い羊飼い」となることを志すものと理解されることが多くあります。ですから牧師のことを「牧者」と呼ぶこともありますし、英語ではpastorという言葉が使われます。
「良い羊飼い」とは決して、「正しい羊飼い」ではありません。(よく誤解されるのですが・・・)自分の価値基準(ものさし)を押し付けるのではなく、羊を導く者としての役割を担っていると考えられます。欧米では牧師の役割と資質をenablerであるべきだというふうに説明することがしばしばあります。
教師も同じように「羊飼い」としてenablerとしての自覚と資質を求められているのではないでしょうか。
先日礼拝で生徒たちに話しましたが、同志社中学、高校の斬新な試みにいろいろ考えさせられました。学校でチャイムがならないのです。始業時も、休み時間の終わりにも、一切チャイムが鳴りません。その代わり、普通の学校よりたくさん、廊下やホールに時計が設置されています。その日の予定、時間割変更、連絡などはすべて、いたるところに設置された連絡用スクリーンに表示されます。生徒たちは自分でそれらの連絡を確認し、自分で移動などにかかる時間を見計らいながら、1日のスケジュールをこなしていました。このシステムによって、生徒たちの自主性と責任感は大きく育てられたと、先生たちだけでなく、生徒たちからの評価でした。
もちろん、システムも、物理的構造もちがう学校で、それをそのまま真似することはできませんが、生徒たちが自らを律し、自ら判断する力を養うことが、教育の本質、そして「良い羊飼い」として志すべきことだと考えさせられ、気づかされた良い機会でした。 (宗教主任)