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聖書
- 2024.07.01
7月の聖句
学内教職員向けのメッセージです。
7月の聖句
「剣をさやに納めなさい。剣をとる者は皆、剣で滅びる」
(マタイによる福音書26章52節)
「『憲法第九条があるために〇〇できない』ということは、つまり憲法がなければ〇〇はスイスイできるということ。武力行使も九条がなければスイスイ。徴兵だってスイスイ」(小林カツ代)。憲法九条に対するご意見は色々あると思います。しかし、たとえ煩わしくても、一線を越えてはならない、暴走を止めるためのブレーキは必要です。使徒パウロは語りました。「霊の導きに従って歩みなさい。…肉と霊とが対立し合っているので、あなた方は、自分のしたいと思うことができないのです」(ガラテヤの信徒への手紙5章17節)。イエスの言葉に従おうとするが故に、自分のしたいと思うことができない。それは一見、自由が奪われているようでいて、実は、私達が気付かぬ内に的外れな信念のもとで突っ走っている暴走を止めるためのブレーキ、命綱となっていることをパウロは示しています。
1941年12月8日早朝、太平洋戦争の始まりを告げる大本営発表に全国民が興奮、血わき肉躍る最中、その日の朝拝で、周再賜校長は「劔を持って向かうものは、劔によって亡ぶ可し」という聖句を毅然と朗読されたようです。その周先生の姿勢に反抗心を抱いた学生は少なくありませんでした。ある卒業生は「あの戦争中の迫害と弾圧の中で、平和と命の尊さを訴えた勇者が、果たしてどれほど日本にいたであろうか。その周先生に反抗を繰り返した私の共愛時代…母校への懺悔は、私の永遠の課題である」(同窓会発行誌)と当時を振り返ります。
人間が自分のしたいと思うがままに歩んだ結末・・・その歴史的事実を示しているのが戦争の惨劇であり、罪なきイエスの十字架(処刑)でした。キリスト教主義学校の平和教育は、「キリスト教」を掲げていたにもかかわらず、戦争に協力してしまった反省の歴史、人間の弱さに対する洞察に基づいて行われています。イエスの言葉は、私たち人間の行き過ぎた言動のブレーキとなります。そのブレーキは、人間の都合から考えれば、時に煩わしいものでもあるでしょう。しかし、「自分のために命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである」(ルカ福音書9章24節)とイエスは言われます。(宗教部主任)